映画『ホームレス ワールドカップ』その2
さて、昨日の続き。
ここでやっと映画の話なんだけれども。内容は、2006年、ケープタウンで開かれたホームレスワールドカップのドキュメンタリーだ。
サッカーというスポーツそのものではなく、それぞれに困難を抱えつつ出場している選手一人一人にスポットを当てた、世界や人生の縮図的構成になっている。
そこでわたくし、「ホームレス」の意味の広さにあらためてショックを受けました。
わたしの持っていた「ホームレス」のイメージは、主に日本やアメリカや、あるいはヨーロッパだけにあてはまる状況なのでした。
この「ホームレスワールドカップ」には、戦争難民やスラム出身の青年も出場している。そうだ、彼らも確かに「ホームレス状態」なのだ。
あぁそうか、「ストリートチルドレン」や「マンホールチルドレン」も呼び方は違うけれどホームレスなんだ…、と、映画を見つつ、もう一人の私が再確認、再認識、関連づけ作業を続行…。
さらに驚かされたのは、ロシア。首都サンクトペテルブルクでは、地方出身者は、容易に住民票が得られないらしい。住民票がなければ家探しも、職探しも、ほとんど何もできないという。しかし、夢みる若者は地方から首都へ集まってきて、かなりの数がホームレス化しているという。
にもかかわらず、「ホームレス」という問題が社会的に注目を集めたことはない、と、ロシアチームの監督は嘆く。あんなに寒い国土で!?
居住地を選ぶ自由がないの? 首都だけそういうルールなの? たやすく住民票が得られないシステムだってことを、学校では教えないの? どうなっちゃってるの、ロシア!? さまざまな疑問が頭の中を駆けめぐる。
それにしても、カメラが捉えた人々のなんと人間くさく魅力的なこと!
「かなりワルだった」というスペインのオッチャンの潔さ。
ドラッグから立ち直ろうと奮闘するアイルランドの若者たちの苦悩と勇気。
アフガニスタン人はテロリストばかりじゃない、それを知ってもらうためには友好的な交流をしなくちゃね。と、あどけなさののこる笑顔で話す難民状態の若者。
スラムで育ってもきっと何かを成し遂げることができると信じ、子どもたちに夢や希望を与えるために、サッカーに打ち込むケニアの青年の焦りと輝き。
常に排斥と怒りの中に身を置いてきたアメリカの若者は、ワールドカップでの対戦や他者との交流を通して、少しずつ心の鎧を脱いでゆく…
ミニサッカーのルールはよくわからないけれども、彼らの身の上に起こった理不尽はとてもよく伝わってくる。その状況を変えようと、サッカーを続けたり、はじめたりした人々。ひとりひとりを抱きしめてあげたくなった。
「大丈夫、大丈夫。何かを変えようとして、あなたはもう一歩も二歩も前に踏み出している。きっとよい方向へ道は開けてゆくから」と…。
あぁ、そうか。英語のタイトル、“ KIKING IT ” の IT は、単にボールを指すんじゃなくて、立ちはだかる困難とか、偏見とか、様々なものを含むんだろうな。
「ワル」だって「アル中」だって、「ホームレスであたりまえ」なわけがない。そうなるには、それなりの背景があったのだ。まして、戦争で家族と家を失うなんて悲しいことは、もう終わりにしよう。
ホームレス ワールドカップの創始者による大会あいさつは、「すべての人に家を!」
わたしも「ケミレスハウス」が欲しい~ (^^;) (階下からの洗剤臭に悩まされつつ)
どうぞ、映画をご覧ください。なお、今年(2010年)はブラジルのリオで第8回の大会が開かれ、日本からも代表選手達(野武士ジャパン)が出場するとのこと。
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