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鞆 對潮樓にて

鞆からは18日に帰ってきましたが、ブログではまだまだ鞆シリーズが続きます。

031844こちらは福禅寺(対潮楼)。

わたしの泊まったホテルのお隣にあったのですが、「眺めがよい」という以外、どういうところなのかわかっておらず、最終日までスルーしていました。

18日、鞆の浦歴史民俗資料館ではじめて朝鮮通信使が滞在した場所だったことを知り、にわかに興味がわいて、最後に訪問。

031854お寺そのものは平安時代につくられたそうです。

細部を見るにつけ、当時の手仕事の丁寧さにうっとりしてしまいます。

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本堂の内側から見ると、厚みのある格子を通した光線が描き出す濃淡のなんと美しいことよ。

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本堂は室町時代ですが、朝鮮通信使が滞在した部屋(対潮楼)は、江戸時代に本堂に接して増築されたものです。

そのため、一部屋内から寺の本堂の軒が見えるという不思議な構造になっていました。

031851こちらは対潮楼の欄間。お寺に菊の御紋とはめずらしいナ…と、写真をとっていると、お寺の方が、「実はこの寺は天皇家に縁があるのです」と、その縁起を話してくださいました。

そうして、本堂にはさらに不思議なものがあるのです…、と、案内してくださいました。

この寺のご本尊は黄金に輝くたいへん立派な千手観音様です。

031850ところが、その観音様の手前隅に、漆塗りの小さな御仏壇のようなものが置かれていました。

お寺の方が観音開きのその扉を開くと、彩色された優しい表情の仏画があらわれました。でもなぜご本尊の前に、さらに仏画があるのでしょう…?

実はこれにはからくりがありました。この御仏壇のようなものは水平方向にくるりと180度回転するのです。そうして現れた側にも、先ほどとまったく同じ造りの扉がついていて、これを開くとなんと彩色された十字架の絵が出てきました。

隠れ切支丹がこの寺に持ち込んだものだということでした。説明を聞きながらわたしは自然に涙があふれるのを感じていました。

この寺は天皇家に関わりがあったために、かつては大名でも容易に踏み込むことが出来なかったのだそうです。そのために、信仰を守ろうとした切支丹が、必死の思いでこの寺に十字架の絵を託したのだそうです。

異教徒といえども人は人。切支丹だから殺されるなんて、本来御仏の教えからははずれています。

当時の切支丹の思いと、十字架を受け入れた住職の心の広さや勇気、なにより真実の信仰の深さに、わたしは激しく感動していました。この寺の住職のおかげで、どれほどの人命が救われたのでしょう。当時の「切支丹」だけでなく、その命は次の世代の命を生み出し、住職の救った命は未来永劫ふえ続けてゆくのですから…。

対潮楼からの眺めはすばらしかったけれど、わたしにとってはこの物語の方がもっと貴い出会いでありました。

※泊まったホテルの屋上から見た鞆のまち。中央下が福禅寺対潮楼。

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