最近読んだ本 ; パール・バック『大地』
母の書棚には、河出書房の世界文学全集がずらりと並んでいた。高校を卒業して家を出るまで、その全集の背表紙をほぼ毎日みていたのだけれども、母の存命中には一向に読んでみる気にならなかった。
というのも、子どもの頃、母が好きだったという『クオレ 愛の学校』を読まされたのだが、どこがいいのかさっぱり分からず、母の読み物の趣味とワタシのそれとは違うのだ、と、漠然と思いこんでしまったからだった。
それに、一世代前に書かれた「世界文学」より、もっと読みたい(あるいは読まなければならない)本がたくさんあったのも、要因の一つではある。
ところが。
母の遺品を整理しているときに、わたしはその「世界文学全集」から二冊だけ選んで沖縄に持ってきたのだった。魯迅の短編集とパール・バックの『大地』。どちらも中国関係。なぜかは知らないけれども、昔から妙に中国にひかれているワタクシ。
実はこのところ、グローバル経済が第三世界にもたらした貧困とか、国内における経済格差と環境格差の関係、それらと密接に関わっている非差別部落の問題など、環境社会学系のコムズカシイ本を読み続けていた。
それで、ちょっと重たい現実から離れてみたくなり、これまで背表紙だけを眺めていた『大地』を手にとってみたのだった。9ポ(か10ポ)でびっしり二段組、厚さ5cmもある。
『大地』は、王龍という男からはじまる一族の近・現代中国三代記といった様相だった。なんとなく、以前読んだ『ワイルドスワン』を思い出した。こちらは同時期の女三代記だった。
日本でも江戸・明治・大正・昭和とつぎつぎに新しい思想や技術が海外から輸入され、親の価値観と子どもの価値観がまったく違う、という状況を過ごしてきたわけだけれども、『大地』でもそのあたりのことが鮮やかに描き出されている。
農村と都市、旧世代と新世代、小作人と地主、中国人と欧米人。それぞれの外観から考え方まで、その対比が実におもしろい。
パール・バックはその鋭い観察力で、自らが中国で過ごした間に見聞したことをふんだんに駆使して物語を編んだに違いない。もしかしたら政治的な理由などで、中国人自身が描くことのできなかったようなことまで、アメリカ国籍のこの女性は描き出してみせてくれたのではないかと思われる。
大久保康雄氏の翻訳もすばらしい。少し前まで、こんなに豊かな日本語の表現があったのだとあらためて知った。『大地』3部作を一気に読み終わってからしばらくは、最近の軽薄な文体で書かれた本を読む気になれなかった。
いやはや、ときどきは古いものを読むのもいいもんです。
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