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大阪高槻・しろあと散策 3

091950やっとしろあと公園にたどり着いたのだ。

昔は三層あったという天守閣も、そのまわりの建物も、ことごとく残っておらず、平らに整備されて、なんとなく日本庭園風にしつらえた一画がある。

でもね~、こういう雰囲気のあるところはほんのわずかで、ほとんどの面積を児童公園が占めておりました。

091942しろあと公園に、なぜタコなんだろう。

大阪ってトコロは …!? (笑)

091944こっちならまだわかるね、物見櫓風アスレチック。

子どもたちがキャーキャーいいながら遊んでいる。

091941こちらはしろあと公園内にある高槻市立民俗資料館の入り口。懐かしかですねぇ、この円筒形のポスト。

建物は高槻の城下町にあった町屋を移築したもので、立派な造りをしている。そうしてちょっと昔の道具たちが保存・展示されている。

テーマは時々変わるみたい?だけれど、今回は農具が多かったな。それから機織りにかかわる道具もいくつかあった。

ここで、ナルホド!なもの、発見。

091938古い箪笥です。

箪笥は一棹、二棹、…と数えますよね。

「かつては棹さして担いだからこのように数える」と、辞書や辞典で見た覚えがありますが、どうもピンときていませんでした。

091937しかしですねぇ、箪笥の側面上方に、きっちりとそのための仕掛けがあるではありませんか!?

担ぐときにはこの逆U字型金具をひょいと箪笥の頭から飛び出させて、ここに棹を通して担いだワケですね~。当然反対側の側面にも同じものがシッカとついておりました。

やっと納得なのだ。

うーむ、なかなかおもしろい一日であった。満足、満足。

※追記。
驚いたことに高槻城は、江戸時代が終わるまできちんと藩主がいて、明治のはじめまで完全な形で残っていたそうだ。にもかかわらず、今はほとんど跡形もない。

その原因は明治七年の鉄道の敷設で、石垣は敷石などに利用され、城は破壊されたと案内板に書かれてあった。

驚くべき早さで鉄道が敷設された背景には、そんな理由もあったのだ。大ショック。

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