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大阪高槻・しろあと散策 2

まだ野見神社の境内です。

091918今気づきましたが、ワタクシどうやら釣り灯籠とか石灯籠とか、とにかく灯籠関係をモチーフに写真を撮るのが好きなようです。神社仏閣へ行くとたいてい灯籠を撮っています。

話を戻して、野見神社からしろあと公園までは2~3分ほどの距離です。でもそろそろ2時をまわって、日差しが柔らかくなってきました。

しろあと公園の入場時間に制限はないようなので、さきに「高槻市立しろあと歴史館」なるところへ行ってみることに。

091930入り口には、摂津峡の民家の庭先にも置かれていた水車が。

091929

そうか、こんなふうに二本の棒を支えにして、足で踏んで水を送っていたのですね。

※クリックすると大きな画像が見られます。

091932その向こうには、水害避難用の舟。大正~昭和の初期、淀川の氾濫にそなえて高槻城下の旧家が所有していたものである、と解説がありました。

そういえば以前、徳島を旅行していたときにも、こんな舟を見た。吉野川のほとりに保存されている藍屋の軒に、くくりつけてあったのだ。

その家の屋根は茅葺きなんだけれども、ひとたび洪水が起これば家からプカリぷかりと浮いて、10人や20人が乗っても沈まないようにできているそうな。そこで水が引くのを待ったのだとか。

091935舟は、逃げ遅れたり流れに取り残された人々を救助するための大切な道具だったわけだ。そういう、普段は使わないけれどいざというときに必要なさまざまな道具を維持管理するのは、豪農や豪商の役目だったわけですね。

昔の共同体の仕組みというのは、実に上手くできたいたんだなぁ…

ところで、館内で二番目に気になったのがこれ。

「武家の食卓にのぼった貝」。

091936城跡を発掘していて出てきたんでしょうか。

シジミ以外たぶんみんな海の貝なんですけど、昔は大阪湾でもこんな立派なのがとれたんでしょうか。きっとそうですね。

そうして当然、淀川を使って運ばれてきたのですね。

昔はいかに水運が大切だったかこれを見てもわかるような気がします。

で、館内で一番興味を持ったのは、高槻城の石組みの模型でした。淀川の沖積平野という非常に軟弱な地盤の上に城を築くため、ずいぶん手間をかけて城郭の基礎工事を行っていたらしい。そうしないと、石組みの重さでずぶずぶと城が沈んでしまうことを、当時の人々はすでにちゃんと知っていたんですね。すごい。

でも城郭の模型の写真は撮ってきませんでした。あしからず。興味がある方、ぜひ実際に見に行ってください。入館料無料。気前がいいです、高槻市。

まだつづく。

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