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シジミチョウ

083110たぶんヤマトシジミ。

でも、子どもの頃に見ていたのより、ひとまわりもふたまわりも大きくて、羽の裏の青みがかった灰色も、少し色合いが違うみたい。地域差があるのだろうな。

写真は、那覇市内のご近所の公園にて。

ヤマトシジミと言えば、これまた幼い頃の思い出があります。小学校に上がる前の話。

いまのようにおもちゃを豊富に持てる時代ではありませんでしたが、それでも外遊びのアイテムとして、わたしはプラスチック製の小さなバケツとヒシャクを与えられていました。

夏の暑い日、行水しながら水遊びしたり、庭や公園で砂遊びに興じたり、友だちとのままごとや泥んこ遊びでもそれは大いに活躍しました。さらにまた、プラスチック製のヒシャクは別の用途にも使っていました。

ナゼかまったく同じカタチのものを二つ持っていたので、わたしは虫を捕らえるのに、よくこのヒシャクを利用していたのです。

ターゲットは、小さな庭にもやってくる、シジミチョウとショウリョウバッタでした。

両手でそっと包むようにしても捕まえられないことはなかったのですが、幼児の手よりはヒシャクの方が断然容量が大きくて、捕まえやすかったのです。

ヒシャクの底の部分を右手と左手に一つずつ持ち、チョウやバッタを見つけると、とまっている葉っぱごとパコッと挟み撃ち。

合わさったヒシャクをそっと開くと、中からチョウやバッタが飛び出す。そんな遊びを繰り返していました。

あるとき、いつもより大きなショウリョウバッタを捕まえたのが嬉しくて、虫かごに入れて軒先につるたことがあります。

一晩経ってみると、虫かごには蟻の行列がやってきていて、バッタはみごとなバラバラ死体になっていました。

それを見た瞬間、わたしはバッタが怖くなってしまいました。おかしな話です。バラバラにしたのはアリなのだから、アリが怖いと言うのなら話は分かるのですが…

「バッタがバラバラになって死んでいる」ということにショックを受けて泣いているわたしに、母は、「バッタが死んだからアリがやってきたのだ」と冷静に言いました。

でも、バッタが死んでからアリにたかられたにしても、あるいは生きているうちにたかられたにしても、そもそもの理由は私がバッタを虫かごに閉じこめたからに他なりませんでした。少なくとも、そのことは理解していました。

ただ、「罪悪感」という言葉もわからないほどにわたしは幼くて、だからそれを「怖い」と感じてしまったのだろうと、いまでは思うのです。

それ以来、ヒシャクでバッタやチョウを捕らえる遊びは、あまりやらなくなりました。

遠い昔の思い出です。

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