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映画「水になった村」

すっかりやられた。
涙が止まらなかった。

もしかしたら、この映画の監督である大西さんの書いた『僕の村の宝物 』や雑誌の記事を以前から読んでいたために、映画に描かれなかった背景まで見えてしまったからかもしれない。

あぁ、“じょさん”の笑い声は、こんなふうだったのか。
あの塩味のぼた餅は、この台所でつくられたのか。
わさび田の水は、こんなにも清冽だったのか…。

そんなちょっとした場面のひとつひとつがいとおしく、より一層身近に思えてきて

うれしくて
たのしくて
なつかしくて
せつなくて

…それから この村が今は水底にあることが無念で

涙というのはこんなにもいろいろな感情とともに流れるのだと言うことをあらためて知ったのでした。

さらには、大西さんの眼差しの優しさ、温かさに感動してまた涙があふれるのでした。

ファインダーを覗くのが辛いときもあったでしょう。でも監督は記録し続けました。それはつまり、じじばばたちの気持ちに寄り添い続ける、ということでもあったろうと思うのです。だからこそ、人々の暮らしや息づかいが伝わってくる「徳山村」が、確かにそこに存在していたのだという証を残すことができたのでしょう。

四季折々に輝く植物や動物、水の音。その自然に寄り添い、自然の恵みをいただきながら暮らしてきた人々の智慧や技の数々。そこに暮らすジジババたちはみんな、ほんとうによく笑うし、肌ツヤはいいし、元気でお茶目なこと! 人も風景も、すべてがまるで日本昔話やおとぎの世界のようでした。涙もこぼれましたが、それと同じくらいよく笑う映画でもありました。

そうして思いました。

なんて豊かなところだろう!って。 徳山村は、70歳80歳を越えてなお、日々新鮮な喜びや驚きがあり、そして感謝に満ちた世界であったのです。

「毎年違う。」「毎日新しい。」「やってみるまでわからん。」

そういう感覚が、ジジババたちから伝わってきます。毎日「同じことの繰り返し」で、それがあたりまえのように感じてしまう都市の生活と、なんてかけ離れているんだろう!

徳山村の暮らしのように都市生活を自然のリズムに合わせるのは難しいだろう。けれど、たくさんの「あたりまえ」の積み重ねをあらためて考えたとき、もしかしたら、少しは何かを感じ取ることができるかもしれない。

その魚はどこでとられたの?
 その野菜はどんなふうに育てられたの?
  その蛇口から出てくる水はどこから来たの?
村は、どうして水になったの…

今、あらためて『僕の村の宝物』を読みながら、この映画を観ることができた仕合わせに感謝しています。             合掌。

※映画『水になった村』公式サイトはこちらから。
※『僕の村の宝物』は、完全改訂版 『水になった村 』 として新たに刊行されています。

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