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米軍と日本軍

ここ数日いろいろと動きすぎたせいか、昼食後急激に眠くなってきた。ここでこらえてしまうと風邪を引いたりして後々面倒なので素早く昼寝の体制に入ることに。

沖縄でもさすがに少しばかり涼しくなってきているのでそのまま畳にゴロンというわけには行かない。昼間っから御布団を敷きのべて、暗雲の隙間からせっかく射してきた日差しの中でお昼寝するのは勿体ないような贅沢なようなちょいと複雑な気持ちである。

うつらうつらしかけたその時だった。耳をつんざくような爆音で目が覚める。

200409092 あぁ~、また米軍機が上空を飛んでいる… 今朝ちょうどいやなニュースを聞いたところだった。3年前、普天間基地に隣接する沖縄国際大学に墜落したのと同型のヘリが再び普天間基地に配備されることになって、機体が基地に届いたそうだ。しかも全部で10機も来るらしい。

今は那覇に住んでいるけれど、私の通っていた琉球大学と沖縄国際大学はとても近いのだ。上空を旋回する米軍機の爆音でいったい何度授業が中断されただろう。米国本土では訓練機は学校の上空を飛んではいけないことになっているらしいですよ。

3年前、あの墜落事故に抗議する宜野湾市民集会に参加したけれど、3万人が集まったと言うことだった。

今年は、県内の報道によればそれを遙かに上回る13万人が集まった県民大会が9月末に行われた。高校の日本史の教科書の記述で、沖縄戦の集団自決に対する日本軍の関与を削除する検定意見がついたことに抗議するものだった。残念ながら私はその時期大阪にいたので現場に駆けつけることが出来なかったが、会場に入りきれずに外で拡声器の音を熱心に聞く人も大勢いたと言うことだった。

沖縄県民は137万人あまり。県民の約10人に1人が会場に来た計算になる。どれほどの怒りが込められているかヤマトゥの人は知るべきだ。

琉球王朝時代には薩摩の侵攻を受けて従属させられ、琉球処分によって沖縄県にされたと思ったら同化政策が始まり、学校では徹底的に琉球の言葉を禁じられた。先の戦争では今度は政府に見捨てられ、「本土防衛のための捨て石」として激しい地上戦が行われた。その時、米軍よりも日本軍からひどい仕打ちを受けた沖縄の人はとても多かった。体験記を読んだり体験談を聞いたりすると、日本軍が沖縄の人々を守らなかったことがよくわかる。疎開や仕事で本土に出て差別を受けるなど嫌な思いをした人もたくさんいる。

とにかく「ヤマトゥ」にはいい印象がない。もしくは、なかった。

私が大学進学で沖縄に来た頃にはその生々しい記憶を持つ人がまだたくさんいた。傷を抱えきれずにヤマトゥやヤマトゥンチュにむき出しの敵意を見せる人もいた。今は沖縄がもてはやされて差別されることはないし、沖縄に住むヤマトゥンチュもずいぶん増えたので、見知らぬウチナーンチュからあからさまな敵意や反感を持たれることなどなくなったが、それでも知人との会話の端々に「悪いことをするのはヤマトゥンチュ」というすり込みを感じることがある。普段はとても公平に物事を見る「いい人」であっても、そういうことがある。つまり、それだけ沖縄の受けた傷は大きくて深いと言うことだ。

そうして、今でも沖縄の人は、知らず知らずのうちに「ウチナー」と「ヤマトゥ」を区別している。米軍基地を押しつけるヤマトゥに違和感や反感を覚える。米軍が事件を起こしたり、沖縄戦の問題を無神経に扱ったりすると、その度にわだかまっていたものが怒りとなって爆発する。

沖縄は、けっして「地上の楽園」でも「癒し」の島でもない。あぁ、うららかな午後のお昼寝を返してくれ。

※写真は米軍のヘリコプターが墜落・炎上して焼けこげた沖縄国際大学構内の木々と校舎。(2004年9月9日撮影)

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