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2007年11月

安い綿製品の裏側

あなたが着ている安い木綿製品が、誰かの労働搾取と健康被害と環境破壊その他もろもろの産物だとしたら、どうしますか。

妹が送ってくれた 『The Big Issue (ビッグイシュー日本版)』の11月15日号には、ウズベキスタンの綿花栽培に関する記事が載っていた。記事のタイトルは「児童労働、環境破壊すすめるコットンにNO!」。

( ビッグイシューのサイトはこちら http://www.bigissue.jp/ )

それによるとウズベキスタンでは「国家をあげて」労働搾取が行われているという。国民の約3分の1がほぼ強制的に綿花栽培に従事させられている状況だそうだ。綿花の収穫時期には国をあげて学校は休校になり、7歳以上の何万人という子どもたちが収穫ノルマを課された教師とともに綿花の摘み取りに当たる。子どもたちが殺虫剤の散布を強制されることもあり、やけどをしたり一時的に失明する子どももいるそうだ。

国営農場が農民に払う賃金はひと月に2ドル。農場の一部で綿花でなく穀物が栽培できれば農民の生活水準も栄養状態も向上するはずだが、そんな自由は与えられていない。その上、農民は事実上移住の自由が奪われている。 さらにウズベキスタン人の死因の半分は呼吸器疾患で、空気中に残る殺虫剤や肥料の成分が原因という。

綿花栽培は環境にも破壊的な影響をもたらしている。灌漑用水が原因でかつて世界で4番目に大きい湖だったアラル海の湖水はほとんど干上がり、湖面積はかつての15パーセントまで減少、多くの生物が絶滅、漁民は経済難民になっている。

こうして作られた綿は国家に安く買いたたかれ、主要な輸出品として外国に売られているのだそうだ。輸出入はほとんど国に管理されており、個人で行うのは事実上不可能だと言われている。

私の着ている服はほとんどが綿100パーセントだ。縫製された国は表示されているが、綿の原産国はわからない。なかにはとんでもなく安いTシャツもある。縫製した人の労働搾取をした上に、ウズベキスタンで作られた綿を身につけているのかもしれない。とてもショックを受けてしまった。

いろいろ調べているうちに、環境映像専門のグローバルメディア、GreenTVのサイトをみつけた。この問題をわかりやすくまとめた映像が見られます。

「消えたアラル海~純白の黄金」 http://www.japangreen.tv/mv/?cat=ch3&fn=1

5分あまりの番組です。ぜひ見てください。

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規則正しい人々

わりと天気が良く、昼過ぎにバイクで出かけて放送大学センターに到着。いつものように45分のDVDを約1時間半かけて視聴し終わると、ロッカールームに向かった。授業と関係ないものは視聴室に持ち込めないからね。

ロッカールームにあるのは図書館や美術館にあるのと同じタイプのコインロッカーだ。はじめに100円を入れるけど、後で戻ってくるヤツ。小銭のない人のために、ロッカールームには飲み物の自動販売機と、いくつかのテーブル&イスも配してある。

そんなわけで、ロッカールームでは時々飲み物片手にくつろいでいる人とか談笑するグループを見かけることがある。

ところがどうだ。今日はそのロッカールームに人がわんさかいる! しかもグループで談笑しているわけもなく、「お一人様」がたくさん、それぞれそっぽを向いて何かを飲み食いしている!! …ちょっと異様な雰囲気。

なぜだろー?と、思いながら帰る支度をしていたら目のはしに時計が見えた。

3時。

そうかー、ひとさまは、疲れたとか、のどが渇いた、と言う欲求よりも、「3時だから」というのを優先して休憩するのかぁ…。お腹がすけば朝の10時台でも「お昼ご飯」を食べてしまう私には驚愕であった。だって、このセンターは図書館と同じで、利用者の昼休みや休憩時間は決まってないんだもの。疲れたらいつ休憩してもいいわけでしょ? それとも、みなさん日々規則正しい生活をしていて、3時には一息入れずにいられない体になっているのだろうか??? (伸縮する時間感覚の中に生きているコアラにはわからない…。)

しかも! あのせまっ苦しいところで無理矢理他人と視線を合わせないように飲食しなくたって、正規の休憩室とか、外に行くとか、いくらでも場所はあるだろうに、そんなに群れたいのだろうか… (人口密度の低いところが好きなコアラにはもっとわからん)

なんてことを考えてしまうから「仙人」とか言われてしまうんだな。 まぁいいや。。。

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分類学の黎明期

甥のトラオ(モチロンあだ名)は3歳半を過ぎたところ。1歳のころにはテレビから聞こえてくる英語のセンテンスをそっくり真似てしまったりして、叔母馬鹿の私などは「天才か?」と思っていたのですが、なぜか今は一語文すらまともにしゃべりません。全部実力行使で意思表示できてしまうから、しゃべる必要性を感じていない模様です。

さてこんなトラオですが感性はなかなか鋭い。

電車や自動車が大好きで、ミニカーを指し示しながらきわめて怪しい発音で「クールーマー」と言います。すかさずこちらも「くるま」といい、またまたトラオが「クールーマー」といい…3回も繰り返すとなぜか彼は「メーガーネー」と言い始める。

どうやらボケているらしいのですが、しかし、なぜ車が眼鏡に化けるのか!? はじめはわかりませんでした。でも、他にもいろいろ発音練習ごっこ?をしているうちに、法則性がつかめてきました。

○可動性のある道具や機械類はぜんぶ「メーガーネー」。

○おじさんは、みんな「アッパ」。(※アッパは本当は韓国語で「お父さん」の意味。トラオのお父さんは韓国の人なの。)

○レタスもキャベツも植木の葉もみんな「ハッパ」。

○丸っこくて甘い果物はみんな「モモ」。

どうやらトラオは、目に入るたくさんの物を、彼なりにざっくりと分類して認識しているらしい。だれも教えないのに、こういう能力は生まれつき備わっているものなのでしょうか。ヒトに限らず、動物はみんなこういうふうに物を認識しているのかな。

それにしても、レタスとベランダの観葉植物とではずいぶん形状が違うけれど、それでも同じ「ハッパ」だとわかるところがスゴイ。そのうちしゃべりだしたら、猛烈な「これなぁに?」攻撃がはじまりそうだ。

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子ども用?

最近歩数計を買って、いろんな場所への往復歩数を測って楽しんでいます。

今日はちょっと遠いスーパーまで行ったけれど、なんてこったい、レジのところにEdyカードを忘れてきたことに途中で気づいて取りに戻り、おかげでたくさん歩くことが出来ました。歩数は7600歩。この歩数計、余計な機能が付いていて、歩いた距離と消費カロリーが出る。

試しに距離を表示させると3.8km。 一歩50cmですかい! これって子ども用??

私は自慢じゃないが歩幅が広い。かなり広い。学生時分、「地質図学演習」という実習で距離を歩幅で測って地図を作ったことがあるのです。そのために歩幅を測ったのだけれど、私より背の高い男子学生より歩幅がデカかったのだ。。。確か75.5cmだったと思う。75cmだったとしても、今日歩いたのは5.7kmですね。

一日一万歩歩くといいと言われますが、一万歩だと7.5km…結構ありますねぇ。

ちなみに歩数計を買ってから一週間ほど経ちますが、まだ一万歩歩いた日はありません。5000歩、6000歩くらいなら結構簡単なんですけどね。

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ぶっとび台湾、便座で食事。

何年か前、友人たちと変な会を立ち上げた。その名も「厠学会」。学会といってもきちんと学問するわけではない。カレーを食し、ビールを飲みつつ、メンバーがみつけた珍しげな厠について報告し合うという怪しい会だ。日本国内にもたいがい変なのがあるが、海外も歩いているメンバーからはなかなかスゴイ話も聞けておもしろかった。

しばらく活動休止しているが、そのころの癖で(?)厠ネタにはつい目がいく。今日はこんな変なニュースを目にした。

「便器を食器に!?台湾の“便所レストラン”人気」

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/102220/

さすがに食器は単に「便器型」らしいが、椅子は便器そのものらしい。さて、この店の本物の便所はどんなものだろう。 

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「ミリキタニの猫」みました。

ここ1~2年の間に見たドキュメンタリー映画の中で最高によかったです。

Mirikitaniposter2

http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/

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トートバッグの改良

11200010 以前ベ○ト電器で「ご来店記念」にもらったお買い物袋。しばらくは収納袋として押入に入っていたのですが、最近ちょうどこのくらいのサイズのバッグが欲しくなり、押入から出してきました。

帆布製の丈夫な袋で、たっぷり物は入りますが、そこはただもの、当然ポケットも口金もありません。メインのバッグに忍ばせて、お買い物したときに取り出すだけならいいのですが、いきなりこれだけで出かけようとすると、お財布や手帳や水筒などが袋の中でゴロゴロして不便だし、大きく開いたままの口は、防犯上よろしくありません。

そこで、内ポケットとファスナーを付けました。

さて、これでちょっとしたお出かけならこのバッグでいけそ11200011うです。なんと言っても今まではフィールドだろうとお買 い物だろうと映画だろうと、みんな一つのデイ・バッグで済ませていたんだからちょっとは進歩?(もちろん、いわゆる「マイバッグ」は常時携帯していますが)

ちなみに、ポケットの布はむかーしっからうちにあったもの、ファスナーは二本105円のものを使用。新たに買うよりよほど安い。ベ○ト電器さん、ありがとう。

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イイダコの殻?

111707 今日、スーパーで大分で水揚げされたイイダコを見つけた。下ごしらえをしようと包みから取り出すと、ポロリ!と何かが落ちた。あげぇ、タコが貝殻背負ってたわけぇ?!

よく見るとイヨスダレという貝の殻のようです。タコと一緒に水揚げされてここまで来てしまったのですねぇ。

死んで間もない殻のようで、タコが最後に食べたものかもしれません。蛸壺から出されるときに、タコが「藁にもすがる思いで」掴んだのがこの貝だったのか。はたまたタコが「携帯食」のつもりで抱えていたものか。いったいどこで混入したのか実に興味深い。

そういえば泡瀬のタコ穴の入り口には、まるで装飾のように貝殻がいっぱい置いてあったなぁ。。。

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テントウムシ狂詩曲

111615 うちのタイワンレンギョウでアブラムシがたくさん繁殖を始めました。あまりにも増えすぎたときには、薄めた石鹸水をスプレーし、水洗いして駆除するのですが、今回はお助け虫の登場。

テントウムシ君。何日か前に成虫が来ているのを見たのですが、卵を産んで行ったらしく、今幼虫君が数匹でせっせとアブラムシを食べてくれています。しかしこの幼虫、イモムシタイプのもっさりした見かけによらず、すごい高速移動するのでびっくりです。歩くのは成虫並に早いです。

それにしても、「天道虫」って漢字を見ると、すごい名前だなぁと思ってしまう。

「天道(てんとう)」を辞書で引くと ①天地を主宰する神。天帝。上帝。②太陽。日輪。 

とあって、もちろん成虫の丸くて赤い様子を日輪に見立てて名付けたのだろうけれど、「天道」にはさらに「てんどう」という読み方もあって、こちらで引くと

①天帝の道。超自然の宇宙の真理。などとムズカシゲなことがツラツラ書いてある。

小さな虫に太陽を見た先人の感性はすばらしい。だけどもっとすごいのは、誰も教えないのにこんな都会の真ん中の小さなベランダの小さな植木をちゃんと探し当てるアブラムシやテントウムシだと思ったりもする。これぞ「宇宙の真理」。

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ススキの観察

いつもお散歩する公園。まだまだススキの盛りです。で、今日はススキの観察。

111601ススキといって思い浮かぶのはだいたいこんな感じ。

穂の高さは自分の背丈と同じくらいかやや低く、穂の色は白っぽい。しなだれて儚げな印象がある。

111603

でもでも、こんなのもあります。蓬髪タイプ。パンクなススキ!?

そのほか茶髪っぽいのもあります。縮れ毛タイプもあります。111608

さらにさらに、写真ではわかりにくいですが、膝丈サイズのススキ。儚げと言うよりは可憐な感じ。土が痩せてるんだろうなぁ…

そうかと思うと2mを越しちゃう逞しげなのもあります。そんなススキの根本には真っ黒くていい匂いの土があります。

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ギンネムのお浸し

111401 いつもお散歩している公園でギンネムの新芽を摘んできました。

あくがやや強かったので、重曹を入れた熱湯でゆがき、しばらく水にはなしてから絞って、今日は胡麻と酢醤油でいただきました。

口に運ぶと、ずいぶんと華やかな香りがします。確かに野山でかいだ匂いだけれど、いったいどんな山菜に似ているかなぁ~、と次々と思い浮かべてみると、突然に山菜ではなくて花の匂いであったことに気づきました。

ツツジの花の、香りでした。ギンネムさんは豆科なのに、ちょっと不思議。

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植物はエライ。

10日前に種まきをしたサニーレタスや春菊、それにミニトマトの芽がどんどん伸びています。サニーレタスとミニトマトは今年、うちで取れた種からちゃんと芽を出してくれました。エライ、エライ。

トマト以外は何本か間引いて食べてみましたが、こんなに小さくてもちゃんとそれぞれレタスや春菊の味がするんですねぇ。感動。

そうそう、トマトは夏野菜の代表のように言われますが、沖縄では早春からうりずんの頃までが旬です。それを越えると梅雨に入って蜂さんたちが花に来なくなり、実が付きません。梅雨の晴れ間には来てくれますが、梅雨が明けると今度は暑さで虫さんが来なくなります。

そんなわけでトマトの方も心得たもので、毎年今頃の季節になると、こぼれ種がちゃんと芽を出したりします。ホント、植物を見ていると、つくづく、感心します。

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サニーレタスの双葉。ちょっとピンぼけ。

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春菊の双葉。日射不足で徒長気味。

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ミニトマトの双葉。どれもかわいいなぁ。

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米軍と日本軍

ここ数日いろいろと動きすぎたせいか、昼食後急激に眠くなってきた。ここでこらえてしまうと風邪を引いたりして後々面倒なので素早く昼寝の体制に入ることに。

沖縄でもさすがに少しばかり涼しくなってきているのでそのまま畳にゴロンというわけには行かない。昼間っから御布団を敷きのべて、暗雲の隙間からせっかく射してきた日差しの中でお昼寝するのは勿体ないような贅沢なようなちょいと複雑な気持ちである。

うつらうつらしかけたその時だった。耳をつんざくような爆音で目が覚める。

200409092 あぁ~、また米軍機が上空を飛んでいる… 今朝ちょうどいやなニュースを聞いたところだった。3年前、普天間基地に隣接する沖縄国際大学に墜落したのと同型のヘリが再び普天間基地に配備されることになって、機体が基地に届いたそうだ。しかも全部で10機も来るらしい。

今は那覇に住んでいるけれど、私の通っていた琉球大学と沖縄国際大学はとても近いのだ。上空を旋回する米軍機の爆音でいったい何度授業が中断されただろう。米国本土では訓練機は学校の上空を飛んではいけないことになっているらしいですよ。

3年前、あの墜落事故に抗議する宜野湾市民集会に参加したけれど、3万人が集まったと言うことだった。

今年は、県内の報道によればそれを遙かに上回る13万人が集まった県民大会が9月末に行われた。高校の日本史の教科書の記述で、沖縄戦の集団自決に対する日本軍の関与を削除する検定意見がついたことに抗議するものだった。残念ながら私はその時期大阪にいたので現場に駆けつけることが出来なかったが、会場に入りきれずに外で拡声器の音を熱心に聞く人も大勢いたと言うことだった。

沖縄県民は137万人あまり。県民の約10人に1人が会場に来た計算になる。どれほどの怒りが込められているかヤマトゥの人は知るべきだ。

琉球王朝時代には薩摩の侵攻を受けて従属させられ、琉球処分によって沖縄県にされたと思ったら同化政策が始まり、学校では徹底的に琉球の言葉を禁じられた。先の戦争では今度は政府に見捨てられ、「本土防衛のための捨て石」として激しい地上戦が行われた。その時、米軍よりも日本軍からひどい仕打ちを受けた沖縄の人はとても多かった。体験記を読んだり体験談を聞いたりすると、日本軍が沖縄の人々を守らなかったことがよくわかる。疎開や仕事で本土に出て差別を受けるなど嫌な思いをした人もたくさんいる。

とにかく「ヤマトゥ」にはいい印象がない。もしくは、なかった。

私が大学進学で沖縄に来た頃にはその生々しい記憶を持つ人がまだたくさんいた。傷を抱えきれずにヤマトゥやヤマトゥンチュにむき出しの敵意を見せる人もいた。今は沖縄がもてはやされて差別されることはないし、沖縄に住むヤマトゥンチュもずいぶん増えたので、見知らぬウチナーンチュからあからさまな敵意や反感を持たれることなどなくなったが、それでも知人との会話の端々に「悪いことをするのはヤマトゥンチュ」というすり込みを感じることがある。普段はとても公平に物事を見る「いい人」であっても、そういうことがある。つまり、それだけ沖縄の受けた傷は大きくて深いと言うことだ。

そうして、今でも沖縄の人は、知らず知らずのうちに「ウチナー」と「ヤマトゥ」を区別している。米軍基地を押しつけるヤマトゥに違和感や反感を覚える。米軍が事件を起こしたり、沖縄戦の問題を無神経に扱ったりすると、その度にわだかまっていたものが怒りとなって爆発する。

沖縄は、けっして「地上の楽園」でも「癒し」の島でもない。あぁ、うららかな午後のお昼寝を返してくれ。

※写真は米軍のヘリコプターが墜落・炎上して焼けこげた沖縄国際大学構内の木々と校舎。(2004年9月9日撮影)

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地史的な生き証人 トカゲハゼについて  ~泡瀬裁判傍聴記~

泡瀬干潟の埋立に関わる公金支出差し止め裁判を傍聴した。と、言っても、裁判は午前中から始まっていたのに仕事の都合で15:00にやっと到着し、最後の40分ほどを聞けただけだったので、ナンチャッテ傍聴である。しかし、実りの多い傍聴であった。

今日は生物学的な知見からアセスの杜撰さと泡瀬干潟の重要性を証言する日だったらしい。到着したら、我が恩師のお一人である吉野哲夫先生がトカゲハゼ放流事業の現状について論じていらっしゃるところであった。さながら学会のようにパワーポイントを駆使し、スクリーンに様々な映像やグラフを投影しての解説である。これなら傍聴者にも良くわかっていい。今は裁判でもこういうハイテク機器が使えるのですね。すばらしいことです。他の裁判でももっとこういうことをやってほしい。裁判の資料は裁判官と被告・原告にしか配られないので「お手元の資料、乙号3番2の件に関して…」などとやられると傍聴席ではさっぱりわからなくなるのだ。

さて、話を今日の裁判の内容に戻すと…

泡瀬に隣接する新港地区という埋め立て地に造られた人工干潟では、沖縄県のレッドデータブックにも掲載されているトカゲハゼが毎年放流されている。もともと「新港地区」が出来る前、この海域には泡瀬から連続する広大な干潟があった。そして、泡瀬と同じようにここにもトカゲハゼが生息していた。ところが埋め立てによってトカゲハゼの生息環境が失われるので、人工干潟を造成してそこに人工育生したトカゲハゼを放流して再定着させるという事業が行われてきたのだ。

トカゲハゼは泥っぽいところに住んでいる。しかし、造成された人工干潟周辺は潮流が早く、すぐに泥が流されていくので、1~2年に一度は泥を入れなければトカゲハゼの生息環境が維持できない。一方、低質が安定しなければ、底生生物は安定的に生息できない。したがって、トカゲハゼも毎年放流され続けてきた。

県は、同じ中城湾の佐敷干潟で産まれた卵を採取してトカゲハゼの育生センター(と言う名前だったかどうかは不確かですが)で育て、地元の小学生もまきこんで「放流イベント」を行ってきた。ところがこの生育技術はまだ確立されていない。餌の問題、病気の問題、いろいろあってうまくいく年には数百匹育っても、ダメな年には百匹ほどしか育たないこともあったそうだ。

しかし、イベントでは毎年千匹近くが放流されてきた。どう計算してもセンターで育った数とつじつまが合わないわけだ。足りない分は主に佐敷で捕獲した成魚を当てていたらしい。

本末転倒!! しかも、予算がなくなったので2年前から放流事業はストップしているそうだ。(この括弧内は私の見解だが、トカゲハゼは1~2年生きるので、放流がたくさん行われていた時期にはその累積で一時的に個体数が増えているように見えていたと予想される。でも、こんなまやかしの事業、税金の無駄遣いでもあるし、トカゲハゼの虐待でもあるし、さっさとやめた方がいいのだ。)

イベントではよそで捕獲したトカゲハゼを混入して放流していた、という点について、被告側の県知事代理が質問を行った。「捕獲してきたものを放流したという連続性を証明できますか?」

吉野先生は魚類の専門家であり、県が掲げた数々のトカゲハゼ保全プロジェクトその他委員会の委員を歴任されてきた。その関係もあって、先生ご自身がトカゲハゼの生育センターも見てきているし、放流イベントにも参加されている。センター視察からイベントまで例えば1~2ヶ月時間の経過があったとしても、その間に個体数が急激に何百も増えるはずはないのである。

逆に、捕獲してきたものではないと言う証明が出来るのか聞いてみたかった。

さて、泡瀬の埋め立ては新港地区での失敗をまったく踏まえておらず、愚かにも「トカゲハゼを守るため」にやっぱり人工干潟を造るという計画になっている。泡瀬の埋め立てに関わる検討委員会などでも、吉野先生は再三この愚を説いてこられたが、とにかく「埋め立てありき」の県や国の機関とは話にならないのだった。

さて今回、先生の言葉でもっとも印象的だったのは、次のような一節だ。

『トカゲハゼだけではない、オキナワヤワラガニ、ニライカナイゴウナ、新種の海草にしても、次々と他では見られないような、あるいは希少な生物がここで見つかっている。アセスの基準では、その一種一種を個別に守ればいいと言うことになっているけれども、一種一種への対応ではダメなんです、こういう生物たちが自然状態でセットで存在していることの意味や重要性をもっと認識しなければならない。

生物は一種類だけが単独で生きているわけではないのです。長い長い地球の歴史を背負ってそこに暮らしている生物たちの生態系というか、生物群集というか、そういうものを丸ごと残さないと意味がないといことをわかってもらいたい。』

そう!そうなのです!! 何でも移植とか増殖とかで済まそうとする役人の観察力のなさには本当にびっくりさせられますが、たくさんの種類の生き物が生息するにはそれだけたくさんのあるいは複雑な生息環境が必要なのです!!! 泡瀬干潟に300種以上の貝類が生息するからと言って、どこにでものっぺりとまんべんなくすべての貝がいるのではありません。相当生息環境にうるさい「違いのわかる」貝のみなさんは、それぞれがピンポイント的に住んでいるのです。そんな生きものたちが、これまでずーーーっと暮らし続けてこられた泡瀬という場所は、それだけでもうすごいんです。

さらに、これも多くの人に知ってもらいたいことですが

『シミュレーション(数値モデル)というのは、初期値の設定によっていくらでも「影響なし」という結果を導き出すことができる。』 

私も大学で海洋物理学を少しかじったから良く分かります。コンピューターで描き出されるシミュレーションというものを、多くの人は間違いがない、ありがたいもののように見ているけれど、実はこんないい加減なものはないのです。とりわけアセスのように、そのシミュレーションをした人(または組織)が、ある結果(例えば「この事業を行っても周りの環境に影響を及ぼさない」など)を導き出そうとして行った場合には信用できない。

例えば海の流れのモデルの場合。まず海の深さ。一定なのか、傾斜しているのか、不規則に変化しているのか。海底は凸凹なのか平らなのか、柔らかいのか硬いのか。海岸線は入り組んでいるのか平坦なのか。また計算する領域に入ってくる水の流れの量や強さ・向きなどなど、様々な条件(初期値)の正確さ(言い換えればいい加減さ)によって、結果はいくらでも変えることが出来るのです。

非常に科学的でわかりやすい陳述に、裁判が終わった途端、傍聴席にいた数名から拍手が起こった。どうも私が最初に拍手してしまった気もするが、とにかくそれくらいすっきりと胸がすくような意見陳述でした。吉野先生、カッコ良かった!!

         ★   ★   ★

泡瀬を埋め立てた場合、環境負荷が大きいのは分かり切っているが、できあがった土地に計画通りの商業施設やホテルが出来るあては全くない。国と県は大量の税金を投入して生物たちの大量虐殺を行い、土地が売れ残った場合、その債務は土地の整備を行う沖縄市が負うことになる。このままでは夕張市の二の舞だ。ツケは確実に市民にまわる。

埋め立ては着工されているが、とにかくここで一度立ち止まって考えた方がいい。本当に必要なのか? その埋め立て。 

※沖縄市の東門市長に埋立一時中断を求める市民集会が予定されています。集会に向けて、実行委員会ではアピール文を発表予定。アピールの賛同者募集中!! 詳しくは http://www.awase.net/maekawa/071126jikoui.htm 

※泡瀬干潟について;

基礎的な情報は「泡瀬の干潟」ホームページ http://www.ne.jp/asahi/awase/save/ をご覧ください。

写真は、当こあらの写真館 http://photos.yahoo.co.jp/haiyue1969 にもたくさん掲載してあります。 

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花火と孤独

首里城祭の花火が自宅から見えた。うちのアパートは高台にあるので、夏から秋にかけていくつかの祭りの花火が部屋から見える。今日のは玄関前の廊下から見えた。

花火を見ながらふと20年以上も前のことを思い出した。高校の時、ちょっと文学的なものの見方をする不思議な物理のK先生が、課外活動中、唐突な質問をされた。

「なぁ、M、孤独を感じるのは、どんなときだろう。」

私は小学生の時、一人で行った神社の縁日を思い出していた。「お祭りでたくさん人が集まって楽しそうにしているのに、自分は独りでいるとき。」

K先生は、得たり、という顔をして仰った。「他の生徒はね、みんな“無人島に一人で漂着してしまったとき”というように、本当に独りぼっちの状態をこたえるんだ。でも、孤独感を感じるときというのは、そう言う場面じゃないと思うんだよ。たとえばMの言うように雑踏の中とか、そういう、たくさんの人に囲まれた状態の中で感じるものなんじゃないのかなぁ…」

その時、先生が何を思って、あるいは何を伝えたくてそう仰ったのか、いまだに良くわからない。でも何だか近い感性を持っているんだな、ということはとても良くわかった。

思えば当時のK先生の年齢を私はもう超えてしまっている。連絡を取らなくなって久しいが、K先生はお元気でいらっしゃるだろうか。

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