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2007年9月

イチョウって

092903 こんなんでも育つんですね。お散歩中に発見。

2リットルのペットボトルに5本くらい植わってるのかな?よくがんばってますねぇ。

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さすが大阪!?

一心寺という寺にお参りに行きました。親族のお骨が納められているので菩提寺と言っていいのかな。有名なお寺だそうで、盆や彼岸になるとすごい人出になるのですが、彼岸後だったので人はあまり多くない方でした。

お寺を後にして近くの天王寺公園で一休み。ここは地下鉄やJRの駅も間近にあって思いっきり「まちなか」ですが、敷地内には庭園や「じゃりんこチエ」で有名な茶臼山(と言ってもただの雑木林の丘)もあって、雑踏の中のカフェや音楽のうるさい喫茶店なんかよりはるかに落ち着けます。

一つ難をいえば、公園に入るだけで入場料が取られること。でも、おかげで広い空間に人影は少なく、まことにいいあんばい。

092801 前回来たときは、風に吹かれながら友達に手紙を書いて、その後は園内をぐるっと散策したのですが、今回はベンチに座ってひたすらぼんやりしてみました。

するとなにやら怪しいものを発見! ミニチュア天守閣が青空をバックにそそり立っています…。ずっと目線を下げていくと、ありふれた四角いコンクリート製の建物の屋上にそれはのっかっているようです。

なんなんでしょう、これ。

さすが大阪!?

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天保山-世界最大級の観覧車と日本一低い山

ロートレック展を見終わった後、外に出るとなんと雲一つなく晴れ上がった青空。そこに大観覧車の白い骨組みや虹色に染め分けられたゴンドラが実に美しく映えている。ポスターにでもなりそうな風景である。展覧会でカメラを使うこともないだろうと、家においてきてしまったことをちょっと後悔するほどなのだ。

そこで突然妹が、「観覧車に乗ろう!」と言いだした。そういえば私たちは、これまで二人だけでどこかへ出かけて遊んだことがなかった。「乗ろう、乗ろう」というわけで、私たちはあっという間に地上高112.5m、世界最大級を誇る観覧車のゴンドラの人となったのである。

少し話は戻るが、展覧会会場へ向かうときにもこの観覧車は見えていて、その背景に巨大な豪華客船風の壁が見えていた。道すがらあれば本物の船なのか、船を模したホテル等の建造物なのか妹と議論していたのだが、観覧車に乗ってその正体が明らかになった。

本物の豪華客船であった。なんと甲板にはプールまで備えてある。ボーイが、ゆっくりと白いテーブルの間を歩いているのが上から見えた。いったいどこからどこへ向かう途中に寄港したのであろう。そして、どんな人が乗っているのだろう。

さらに周りを眺めてみると、埋め立て地だらけのそのなかで、一カ所だけ緑がモコモコ茂っている場所がある。「もしや、あれが天保山?」

15分の観覧車からの景色を楽しんだ後、私たちは早速天保山「登山」に挑んだ。天保山は標高4.53m、ちゃんと三角点もある「日本一低い山」なのだ。いちびりの大阪人らしく、付近には「天保山山岳会」なる団体も存在し、登山証明書も発行している。

問題の山は天保山公園の中にあるのだが、実は山頂にたどり着けずに「遭難者」もでるという話を聞いていた。理由は行ってみてわかった。公園内部は周辺の開発に伴って盛り土され、天保山山頂よりも高い位置に展望所などができている。うーむ。。。

公園入り口にあった地図を頼りに、妹とともに木の茂っている公園の突端まで散策し、元の地形が残っていると思われるあたりで捜索、どうにか「山頂」の看板を発見した。しかし、三角点は見つけることはできなかった。実は踏んづけていたのかもしれない。無念ナリ(笑)。

Photo Photo_2

※地図・写真ともyahoo提供。

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ロートレック展

Lautrec_photo011 大阪へ帰る飛行機の機内誌で、ロートレック展が大阪で開催中であることを知った。沖縄にはなかなかこういう有名どころの展覧会がまわってこない。滞在中に時間を見つけて行ってみようと思っていた。そこで、天保山のサントリーミュージアムまで妹と出かけることに。

ロートレックは100年ほど前に活躍した画家で、リトグラフによるポスターを数多く制作している。だからその複製画をどこかで目にした人も多いと思う。彼は裕福な家庭に生まれ、結構贅沢三昧していたらしい。劇場に通い詰めて依頼されたポスター以外にも女優や男優を数多く描いている。しかし、男優はともかく、女優たちはなぜか恐ろしげな魔女か、あるいは老婆のような顔に描かれていてる。そして、描かれた当の女優たちは、口をそろえて「ひどい!」と怒っていたと伝わっているそうだ。ユニークな画家である。

今回の展示でおもしろかったのは、描かれた本人の写真が横に並べられていたこと。それをみると、さすが当時の女優さんはみんな美しいのだ。それぞれに可憐であったり清楚であったり、艶っぽかったりするのだが、でもみんな美しい。それがロートレックの手に掛かるとみんな恐ろしげな顔になってしまう。不思議・不思議。

さらには、彼が好んで描いたという道化師や踊り子の当時の映像も残っていて、絵画と、その横に設置された壁掛けテレビの映像とを見比べられるのが画期的かつ斬新でおもしろかった。彼が活躍した当時のパリの町は、さまざまな奇抜な看板や建物が次々に造られていたそうで、展示されていた当時の絵はがきなども興味深かった。

全体として、絵画だけではなくて、それを描いた画家本人や時代背景についても理解が深まるように展示が工夫されていて、非常によい展覧会だった。にもかかわらず、結構すいていて、ゆっくりと展示が見られたことも実に良かった。

サントリーミュージアム 『ロートレック展』 詳細は ↓↓↓

http://www.suntory.co.jp/culture/smt/gallery/index.html

※冒頭の絵画はロートレック展のチケットに使用されている。 ロートレック作 《女道化師 シャ=ユ=カオ》

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稲刈りがはじまりました

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まだまだ暑い大阪で稲刈りが始まりました。

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ご近所の庭先はまだこんな感じで夏の風情です。

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田圃の近くで発見。子どもの頃、数珠玉に糸を通して首飾りを作ったなぁ。

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今回はよくトカゲに会いました。なにかのメッセンジャーだと思うのですが、どんなメッセージを持ってきたのかうまく読みとれません。。。

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幼稚園の運動会

幼稚園に通う甥の運動会を参観しました。幼稚園の運動場ではなくて、もっと広い市民運動場を借り切っての開催。すごいですね~。

まず驚いたのは、「安全管理」。

昔、運動会といえば子どもたちは学年やクラスごとに分かれてはいましたが、トラックの周りをぐるりと取り囲んで座っていました。保護者たちは、なんとなく子どものいる後ろがわに陣取って我が子の出番を待っていました。自分の子どもが出番になれば、そのままズイッと前にでて観戦できたわけです。なかには用もないのに親のところへふらふら行って甘えているような子もいたように記憶しています。

しかし、今は違います。まず、幼稚園側が用意した、園児の名前入りの名札を身につけていないと会場にも入れません。それから、園児の席と保護者席はロープできっちり分けられていて、幼稚園の関係者以外は園児席には入れないことになっています。うーん、ここまでしないといけないとは、物騒な世の中になったもんだ。

一方、保護者には当日園児がどの競技をどのあたりで行うかというプリントが配られていて、それにあわせて場所取りをするという仕組み。写真やビデオを撮るのに少しでもいい場所を確保しようと、朝早くから場所取りに繰り出す親もいるようです。私には子どもがいないので、実際に行ってみないとこういう状況はなかなかわからないのですね。ちょっとびっくりです。

092201 さて、競技の始まりです。3年保育の幼稚園なので、年少さんと年長さんの違いが歴然。この年頃の2年は大きいですね。はじめの演目は全体体操。年少さんはただ音楽に合わせて何となく体を動かしているような感じで、動きはもちろんバラバラ。どんな振り付けなのかはっきりわかる年長さんの動きとは対照的。でも、かえって年少さんのバラバラ加減がとてもかわいい。考えてみれば3歳児や4歳児が一斉にそろった動きをしていたら、逆に怖いのだ。

そうそう、年長さんの演目・組体操は、小学校でやるような結構高度なものでした。3段ピラミッドくらい簡単にやってのけます。ピラミッドの上の子が立ち上がって「ロケット」のポーズになったり、4人で一人のおともだちを肩の高さに持ち上げて「飛行機」のポーズなんてのもありました。よく覚えていないけど、4段ピラミッドもやってたんじゃないかな。みんなけっこう歓声あげてましたから。ますますもって、2年間の成長ぶりが目にまぶしい。二年後には野獣のような我が甥もあのように人間らしいことをするのであろうか。

それから、おとーさんが参加しやすいように競技の工夫もされていました。

092223 たとえば年少さんの玉入れ。玉を入れる目標は大人が立って手を挙げた高さに、逆さに掲げられた傘。しかし3~4歳の子がいくらがんばって投げても上手に入らないのですね。そこで、保護者が子どもを抱き上げて玉を入れやすくしてあげるというルールになっています。少なくとも肩の高さに子どもを抱き上げなければ、子どもは玉を入れることができません。これは明らかにお父さんのがんばりどころです。

年中さん・年長さんもそれぞれ保護者と一緒に行う競技があって、子どもと一緒に無邪気に笑うおとーさんたちの様子が印象的でした。それでふと思ったのですが、日本の大人の男は普段無表情すぎる! 普段からもっといろんな表情を見せていただきたい!!

さて、保護者が出る競技以外でも、自分の子どもの出番となれば、おとーさんたちは大張り切りです。今は、一家に一台はビデオがあるのかな? 中には脚立まで持ってきて望遠レンズ付きのビデオで撮影している報道記者顔負けの人もいました。で、もちろんみんな我が子「だけ」をピンポイントでねらって、ビデオの小さな画面「だけ」をみているわけです。

なんだかちょっと変な感じでした。私たちが子どもの頃は、カメラを持って運動会に来る親もほとんどいませんでした。誰もが自分の目で、自分の子どもの活躍や周りの子どもたちの様子を見ていたものです。

自分の子どもはもちろん大事です。でも、だからこそ自分の子どものいる集団の全体的な雰囲気や、その集団における子どもの位置など、周囲との関わりにも目を向けていたと思うのです。

そういうことは、運動会のようなイベント以外で観察しているのでしょうか。しかし、あのビデオ撮影に熱中する人々の群をみていると、どうも自分の子ども以外には全く興味がないように思えてならないのでした。

092241_2 ビデオで記録に残すことも大事かもしれませんが、ビデオの視野は狭いものです。しかも一度機械を通して平面化された画面に映るものは、自分の目で直接見るのとはずいぶん印象が違うものです。自分の目で直接見ることも大事なのではないでしょうか? …しかし、うちのオトウはついに一度も幼稚園や学校の行事に参観に来なかったので、それよりはずっとマシととるべきなんだろうか。

かわいらしい子どもたちの様子を見て楽しかった一方で、親の様子がちょっと気になった運動会参観でした。

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牧野四子吉の世界展

牧野四子吉(まきのよねきち)さんは、生物の生態画家。その絵は、広辞苑をはじめ、生物図鑑や子ども向け絵本の挿し絵など、おそらく誰もが一度は目にしていると思われる。

姓が「牧野」なのであの有名な植物学者と血縁関係があったのかなー、と思いつつ展示を仔細に見てみたが、そういう記述は見つからなかった。

生態画は精緻であり、かつ生き生きとしていました。例えばウサギのふわふわした毛の一本一本。まばゆく反射する甲虫の背中。そして何より驚いたのが、図鑑用に書かれた魚類の正確な絵の数々。

図鑑用の絵というのは、原画も小さいんですね。3cm×6cmくらいのが標準のようです。大きくても幅が20cmくらいかな。そのサイズで、鱗の数や微妙な色の変化なども正確に描き出さなくてはならないと知って、非常に驚きました。

最近は生物図鑑も写真を利用した物が幅を利かせていますが、色合いなどは地域差や個体差があるし、撮影されている角度によってはちょっと判別しにくいことがあります。ですからこういう仕事は、今でもとても大切だなぁー、と思うわけです。

展覧会は終わってしまいましたが、興味のある方は以下の芦屋市立美術博物館のホームページでご覧ください。

牧野四子吉の世界 -自然観察の愉しみ-

http://www.ashiya-web.or.jp/museum/01top/f_top.html

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芦屋浜

092007 母の容態も落ち着いているようなので大阪に里帰りしたら是非見に行こうと思っていた絵画展を見に兵庫県芦屋市に出かけた。

阪神電鉄の芦屋の駅を降りると、鉄道のすぐ下に芦屋川が流れているのが見えた。しかも河川敷に降りられるよう、階段が設置されている。これは行かない手はない!と、アスファルトの歩道からさっさと砂利道の河原に降りる。

092008 ずんずん河口に向かって歩くとしかし、すぐに水は涸れてしまって、川の道筋はただの草むらになってしまった。せっかく川面を見て歩こうと思っていたのに、ちょっとつまらない。でも9月下旬というのにとんでもなく暑い日だったので、普通に歩道を歩くより暑さは幾分ましだったかも知れない。

途中で左手方向の道路へ上がると美術館へ行けるという案内表示が出ているが、そのころになると潮の香りがプンとして、どうしても先に海へ行きたくなった。

092005 河口へたどり着くと、すこうし潮が引いて、小さな砂浜が現れていた。この辺りは徹底的に埋め立てられているので、海の生物はたいしていない。それでも水の中を覗くと、なんとゴカイがたくさん泳いでいた。ふつうは砂に潜っているのに、どうしてこんなにたくさん水中を漂っているのだろう。

よく見ていると小さな波で偶然打ち上げられたところで、次々に砂の中へ潜っていく。

ゴカイの仲間は産卵のために大潮の夜更け、集団遊泳する話を聞いたことがあるが、夕べそんなのがあったのだろうか。それとも、単に釣り人が捨てていった生き餌だろうか?

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なんだか弱ってふらふらしていたカニ。

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ざっと貝殻を集めてみました。

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これはクワイか、オモダカか。

大阪の実家付近で発見。

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花だけ見ているとオモダカかな?と思っていたのですが

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葉っぱが大きいのでオモダカの栽培品種であるところのクワイのようです。

田圃の脇に植わっていました。

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突然の帰省2

15日、家についたのはもう夜の8時過ぎだったので、病院へは次の日に行くことにした。途中空港から妹に電話を入れたときの様子では母の様子はずいぶん落ち着いていると言うことだったので、少し安心したためでもあった。実家に帰ってみると弟も新潟から駆けつけていた。

16日に病院へ行ってみるともう母は起きあがっていて、「あと一ヶ月」と余命宣告された人とは思えない元気そうな様子である。

原因は良く分からないが、救急で運び込まれた当初の一時的な症状だけを見た医者が、ガン細胞の爆発的増殖と勘違いし母と妹を脅かしまくった、ということがなんとなくわかった。

結局その医者は勘違いで脅かしたことを詫びもせず、母の体長が回復すると、淡々と予定通りの治療日程を伝えに来て、それまで入院していなさいネ、と言うことで話は終わってしまったらしい。私は直接会ったことがないのだが、母と妹の話を総合すると、相当にコミュニケーション不全を起こしているようだ。病状や治療の選択肢の説明も下手だし、今後どのような経過をたどるかという予測についても具体的な提示は何もしてくれないのだそうだ。

一人のひとの人生がかかった選択を迫られている状況において、その選択肢のメリット・デメリットが良く分からず、返答すべき期限についても曖昧にしたまま「手遅れになりますよ」と脅すだけなのである。はっきり言って最悪だ。昔よくいたタイプの、椅子にふんぞり返ったエラソーなオッサン医師を想像したが、これが若いと言うからなおのこと驚きだ。

こういうのは、全くもってコマル!ではすまされないのだ。いくら記憶力がよく、お勉強が出来て、医療技術に優れていても、相手のレベルにあわせて物事を上手く説明できないようでは医師として失格である!(憤慨!!)

医師の皆様には、もっと患者や家族の立場に立って話をしてもらいたいものである。

と、ここまで書いて他にも似た様なタイプの人が大勢いるところを思い出した。お役所である。「お役人」のみなさん、どうしてああ態度が横柄なんでしょうね。地方自治体の職員というのは「公僕」なんですから、もっと丁寧にわかりやすく話をして欲しいものですね。

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突然の帰省1

「母が倒れた」と電話があったのは14日の夜、台風が最接近していたときである。癌を患い、去年末から3ヶ月に一回ほど入院して抗ガン剤による治療を受け続けている母は、一週間後の21日からまた治療のために入院する予定だった。

癌が急に増殖しているとか、もう手の施しようがないとか、最悪の場合一ヶ月しか持たないとか、とにかくさんざんなことを医者から聞かされて、妹はかなり憔悴していた。

状況が良く分からないので、とりあえず台風が去って飛行機が飛び始めたらすぐに帰ることにした。

15日には台風一過の青空になっていた。午前中に家の片づけを済ませ、正午前に家を出た。空港は予想通り昨日の航空便が欠航したため本土へ帰れなかった観光客が、長い長いキャンセル待ちの列をつくっていた。まるで「蜘蛛の糸」である。こんなものに並んでいたらいつ帰れるか分からない。とりあえず航空会社のカウンターで事情を説明して、「今日中に帰る方法はないだろうか」と訊ねると、しばらく待たされたあと、優先的にキャンセルを回してもらえるという整理券を発行してくれた。何でも相談してみるものである。

お陰で列に並ぶことなく、搭乗待合室まで行くことが出来た。ここまで来れば座って待てる。私は窓に直角に置かれた長椅子の一番窓側に陣取って、本でも読みながら落ち着いて時間を過ごそうと思った。ところが、遠慮なしに私の目の前に立って外を眺める人があとを絶たない。そしてみんながみんなカメラを構えている。確かに離着陸を見るにはいい角度かも知れないが、何で向かい合った椅子の置かれたこんな狭いところへ平気で押し込んでくるのか不思議に思い、改めて外を見た。

事故を起こした中華航空機が正面に見えた。一月前に炎上して中程からへし折られた様になった機体がそのまま駐機場に置かれていたのである。私は母や妹のこと、それからまわってくるかどうか分からない空席の事で頭がいっぱいで、外など見る余裕もなくその席に座ったのであった。ナルホド、と思い落ち着ける席に替わってから、私も一枚写真を撮っておくことにした。

3時間以上待ってなんとか搭乗券を手にする事が出来た。さらに1時間近く待って、やっと飛行機は離陸した。

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台風対策でネットをかぶせられた事故機。

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出来すぎた話

9月1日。前日に引き続き遠出したくなってバイクで今度こそ中部方面を目指して走り出した。走り出したときには天気が良かったのに、またぞろ行く先には暗雲が立ちこめはじめた。雨雲を避けるため、途中昼食をとったり休憩を入れたりしながらジリジリと北上していく。そうして約4時間後に真栄田岬に到達した。自分のバイクで来た地点としては本島最北の位置だ。

真栄田岬自体は十何年かぶり。学生時代に友人たちとスキューバダイビングで来たきりだったので、その様子の変わりようには驚いた。管理棟と言うのが出来ていて、素潜り三点セットを貸してくれたり、コインロッカーがあったり、ちょっとしたお土産や軽食がとれるスペースも出来ている。そのほか展望台や遊歩道も整備されており、なんだなんだ?と言う感じ。

スキューバダイビングの人も猛烈に増えていて、私たちが潜っていた頃にはこの潮の速いポイントには同時に3組ほどしか潜っていなかったように記憶しているが、いまや芋の子洗い状態でひしめきあって、どこからどこまでが一つのグループなのか見分けがつかないほどだ。

とはいえ、遊歩道の突端へ行けば人工物が目に入らないようにカメラを構えることも出来るくらいのゆとりがあって少しホッとする。また、岬の先端から少し南側にそれると、砂利道をくだって整備されていない浜に降りることもでき、こちらはなかなか雰囲気がよい。しばしボーッとしてからさて帰ろうかとバイクのキーを探すと、軍手に丸め込んであったはずの鍵が軍手ごと見あたらないのだ。15年バイクに乗っているが、鍵を無くしたなんてこれがはじめてである。しかも、家から一番遠出をした今日に限って、である。しかし不思議なことに、焦りも苛立ちもなかった。

しばらく探し回ったが見つからず、バイクを止めた有料駐車場のおにいさんや管理棟の方に聞いても落とし物の届け出はない、とのこと。まわりをみてみると、なんとダイビングの人はほとんどが軍手を使っているのであった。中には私のとそっくりのを使っているグループもあり、落ちている軍手を自分のものと間違って誰かが拾っていったのではないか、と思えてきた。

しかたなく、どうやって帰るかやバイクの置き場所について管理棟の方に相談してみた。バスも不便なところであるし、友達に鍵を持ってきてもらうか、迎えに来てもらって鍵を取りに帰るのが一番だろう、と言う結論に達した。私は携帯電話を持っていないので公衆電話の在処を訊ねたが、付近にはないと言う。立派な展望台や管理棟があっても、イマドキ公衆電話はないのである。マイッタ。結局、管理棟の方が事務所の電話を貸してくれて、K江君と連絡を取ることが出来た。なんと、1時間半後にきてくれるという。たすかった。

待っている間は鍵を探しつつ、景色を眺めていた。ふと帰る方向を眺めれば、また雨雲が垂れ込め、なんと竜巻らしき物まで見えてきた。バイクであんな物に巻き込まれたらえらいことになる。もしかして危険回避のために「大いなる力」か何かが鍵を隠してくれたのかも知れないなぁ、などと考えながら、予想外にぼんやり過ごす時間を得たのだった。

K江君は軽貨物にのってやってきた。そうして、バイクを載せていこう、と言う。「え~、載せられるの?」といっている間にミラーをはずし、駐車場の親切なおにいさんと共にバイクを車に積み込んでくれた。

帰りは高速道路経由で1時間で家についた。K江君には感謝するコトしきりである。それにしてもなんだか出来すぎた話のような、あるいは初めから仕組まれていたような不思議な一日だった。

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真栄田岬の遊歩道から。

 

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 岬の南側にある浜より。

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 竜巻?

 

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南部半周

090104up_2 久しぶりにバイクで遠出をしたくなってとりあえず中部方面へ向けて家を出ました。見ると沖縄島の稜線に沿って暗雲が立ちこめており、向かう方向では雨が降っている模様。途中からくるりと方向を変え、南部方面へバイクを走らせました。

最初の目的地は佐敷(さしき)干潟。98年に沖縄に戻った頃には干潟調査のグループの一員として足繁く通っていたのですが、2000年以降は主に泡瀬干潟に通うようになったため、かなりご無沙汰でした。ここも相変わらず埋立計画がくすぶったままのようですが、干潟はまだ残っています。ただ、当時よりも生きものの量が減ったように感じました。なんとなく殺伐とした雰囲気が漂っています。原因はなんだか良く分かりませんが、明らかに環境が悪化しているようでした。

090108_2 次の目的地は旧玉城村にある浜辺の茶屋。本当に浜辺にせり出すようにして作られているカフェです。手作りのログハウス風建物にこれまた手作りと思われるテーブルとイスはすべて木製で視覚的にはとても落ち着いた空間です。音楽も耳障りにならない程度に流れていましたが、開け放した窓からは海の音・風の音・鳥たちの声なども聞こえてくるので、音楽は無くてもいいくらいです。

窓からの眺めは当然いいのですが、これが笑っちゃうくらい絵に描いたように「沖縄らしい」海辺の景色。ちなみにお隣は宮本亜門さんのお宅で、ときどきテレビでもその居間からのすばらしい海辺の景色が放映されています。なんていいところに家を建てたんだろう!

茶屋ではスコーンと紅茶を頂いて一休み。次の目標は大渡(おおど)海岸。ここも以前、友人たちのウミガメ産卵調査に参加して、夜中にウロウロした懐かしい場所です。でも付近は地下ダムを作った影響で風景が一変。なんと、ヒマワリ畑が出現していました。ヒマワリの花はみんな東の方を向いて咲いています。前から見るととても前向きな花に見えますが、後ろから見るとなんだかションボリしているようにも見え、ちょっと不思議な光景です。

ところで大渡へは漂着椰子の実を拾いに来ました。ベランダに生えたぬるぬるのコケを落とすために椰子の実タワシを使っていたのですが、これが相当ちびてしまって、新しいのを作ろうと思っているのです。でも今回は不漁でした。

最近はビーチクリーンとかいう海岸清掃のイベントが盛んで、人工物のゴミだけでなく天然物までキレイに持ち去られたり焼かれたりするので、以前と比べてなんだか海岸が寂しいのです。天然物はまた海へ帰っていったり生きものたちの住処になったりするので、本当は取り去らない方がいいと思うのですが。

また、人工物も時には生きものたちの重要な生息環境を提供していることがあるのですが、残念ながらそのことはほとんど知られていません。何もかも(一部の)ニンゲンの尺度で「徹底的にキレイ」にするのはつくづくヨクナイと思うのです。私のように実用的目的を持って漂着物を拾いに来る人は少ないにしても、ビーチコーミングと言って海岸漂着物を拾うことを楽しみとしている人も結構いるのです。海岸清掃はホドホドにしてもらいたい。

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これはタコノキです。花が咲いていました。佐敷にて。

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「前向き」なヒマワリ。

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「後ろ向き」なヒマワリ。

なぜかムーミンのニョロニョロを思い出す。

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